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羅盤舎代表 霹靂火 雷公自らが行なったフィールドワークの調査結果を公開しております。

vol.1 未知なるガータロを夢に求めて

私の出身地は、長崎県である。長崎県にも、日本各地に伝わる河童伝承の一つとして、「ガータロ(他にガアタロ、ガアーッパ、カオーラ、カワタロウ、スイテングウ、ヒョースベなどともいう)」と呼ばれるモノが伝えられている。長崎市本河内町や五島市福江大円寺町には「水神社」や「水天宮」と呼ばれる神社が在り、長崎市の水神社には河童がもたらした「どんく石」に生える苔の色で降雨を知らせるという。
[図1-1参照]

今回のフィールドワークでは、離島福江島のガータロを探索することとした。福江島にある大日山にはカワウソを象った狛犬が奉ってあり、地元では「ガータロ」と呼ばれていると、水木御大の名著『妖怪画談』に記してあったからだ。同書には若き日の水木氏も五島を訪れ、地元の古老の御陰で漸く辿り着くことができたとある。


2009年7月18日 午前7時40分、長崎港を高速船ジェットフォイルで出発した。
定刻を少し遅れて、午前9時13分に福江港に到着した。早速、大日山を探すべく福江の北方に在る大日山(現在は整備が大変進み、大日山公園となっている)へと歩を進めた。県道162号線を真っすぐ辿って行くが、一向に着く気配が無い。確かに地図では県道のすぐ東に記載しているのだが、実は登り口はずっと手前の方にしか無かったのだ。詳しい地図を持っていなかったことが災いし、目的地を横目にずんずん進んでしまっていた。

午前10時20分、福江港-大日山の距離を2倍ほど過ぎた奥浦の辺りで間違いに気付き、元来た道を引き返す。聖マリア病院近くにある登り口までは、福江港から自動車で5分ほどであり、そこから徒歩で10分、整備されて山道より遊歩道のような参道を登る。
午前11時27分、「ガータロ」像のある五島八十八箇所第十九番札所「大日山」に到着した。

大変驚いたことに、模写の名手である水木御大は、通常の写真で紹介される祠のみならず、周囲の配置まで見事に描写していたのである。
[図1-4 五島八十八箇所第十九番札所「大日山(金剛界大日如来)」参照]

ガータロ像は怪物然としないようにデフォルメされ、解り易く手前に描かれてはいるが、祠の厳かな雰囲気から安置された石板まで再現されているのである。
因みに、ガータロは人や牛馬に取り憑くとされることからか、牛の石像が祠の正面や脇の巨石の下に数体並んでおり、石板にも沢山の牛が描かれている。
[図1-5(a)~(c) 牛の石像、図1-6参照]


祠の中には巨大な石が安置されており(思うに、寛文9年、春に焼失して医王寺と共に再建された際に巨石の周りに祠を建立したと考えられる)、九州に多くある「どんく石(一般には河童石やコウゴ石)」との関連もあると推察される。

しかし、ここでの本尊は飽くまで大日如来であり、祠の程近くには更に大きな岩に大日如来が刻まれている。これは空海が刻んだとされているが、発見された時には既に仏像は無く、現在見ることができるのは新しく刻まれた大日如来である。

大日如来は太陽を神格化した存在であり、古くから牛の神様として崇められている。そこで、人馬を水に引き入れて溺死させたり、農作物を荒らすガータロを大日如来の眷属とすることで、その被害を食い止めようとしたと考えることもできる。

また、通常は狐や狸の仕業とされるような悪戯が、この福江島では川獺の所為であるとされる。これは、五島にはタヌキが分布せずキツネもあまり見られないが、代わりにカワウソが多く見られたことに起因する。そこから、ガータロの正体はカワウソであるとされ、猿に似て体色は黒か鼠色とされるのである。身体を大きくしたり小さくしたりすることができるのは泳ぐ時に体毛が身体にぴったりと付いて細く見える為と考えることもでき、イタチのように素早く動き、いい声で歌うという特徴も頷ける気がしてならない。
[図1-8(a), (b) 「ガータロ」狛犬(左が阿形、右が吽形)参照]

さて、大日如来の御前に仕える2匹のガータロに別れを告げ、午後12時10分、私は大日山公園を後にした。
この大日山のガータロが神に仕える存在であるならば、一方で人間にとって身近なガータロたちもいた。それは福江の西方にある大円寺地区の「火消し河童」である。何と、ここのガータロは妖怪でありながら「火消し」、即ち現代で言えば消防士という職業を持っている妖怪なのである。弁天之淵(カッパ池)にある水神社(水天宮のこと)は「消防、災害除けの神」として有名であり、旧暦3月11日には「火消し河童祭り」が開催されたという。昔、福江で火の始末を忘れた家があると、大円寺川のガータロがやって来て、火元が炊事場や風呂場、囲炉裏の場合は灰を、屋外の場合は土を被せて行ったという。
もう一つ特徴的なのは、大円寺のガータロは、「小池坊」こと「劒源右衛門」という河童大将の命令によって、決して人間に悪戯をせず、カッパ池の少し下流にある大正橋の下には見張りのガータロが居り、人々が夜中に生魚を持って橋を渡っても何事もなかったという。

県道162号線を引き返し、唐人橋から福江川沿いを西に歩くこと25分。午後1時8分、カッパ池に到着した。川には矢鱈と河童のキャラクターが福江川の美化を訴える看板が目立ったが、これは日本全国の河川で多く見られる光景である。[図1-9参照]

ここで、水天宮を目にした私は驚いた。水天宮自体が恰もカッパ池の上に浮かんでいるかのように見えたからだ。
[図1-10 カッパ池に鎮座する水天宮 参照]

カッパ池の中央には「火消し河童の像」が福江中央ロータリークラブによる立て看板と共に設置されている。
[図1-11 火消し河童の像, 1-12参照]

立て看板には、以下のように記されている。

〈火消し河童由来記
 この水天宮は、昔から消防の神様として河童が祭ってあり、前面の深い渕には、その河童の大将が住んでいるといわれています。
 享保八年(一七二三)江戸の大火で江戸麻布六本木にありました五島家の上屋敷が焼けてしまいました。そこで、五島第二十六代盛佳(もりよし)公は新しく館(やかた)を造った時に、その屋敷内にこの水天宮の分社を建て、火除けの神様として祭りました。ところが、そのあとで、隣の屋敷の大久保家から火が出て、五島家に燃え移ろうとしました。その時、五島邸から大勢の消防手が出て来て、またたく間に火を消してしまいました。その消防手は実は人間でなく、水天宮の河童だったというので、江戸中の評判になり、参詣人が絶えませんでした。それで、五島邸では長さ十五糎(センチメートル)、巾六糎の「水天宮御守」を作って売り出しましたら、飛ぶように売れて、大変、藩の財政をうるほしたという話です。
 福江市が度々大火に見舞われたのも、実は廃藩後、この水天宮をおろそかにしたためだと考えられ、福江川の河川改修に当り、改めて、火消河童を祭り直しましたのが、このお宮であります。
       福江中央ロータリークラブ〉

 〈渕〉に棲む〈河童の大将〉とは前述の「小池坊」のことである。大正橋は現在、国道384号線となっているため、自動車が通るコンクリート製の現代的な橋となっているが、川には草が生い茂り、如何にもガータロのような河童が「居そう」な場所であった。余談だが、私は大正橋の下を覗いて一礼した後、立ち去る際に背後から「ペタペタ」と足音が2歩だけするのを確かに聴いた。

今回の調査では、ガータロ縁の土地は既に観光地化しており、旅行感覚で気軽に訪れることができる場所になっていることが分かった。
但し、ガータロを訪ねる際には注意が必要である。何故ならば、ガータロは人に取り憑いて殺すことがあるからだ。

参考文献:

  • 『河童伝承大事典』(和田寛 著・岩田書院・2005)
  • 『五島編年史 上巻』(中島功 著・国書刊行会・1973)
  • 『福江市史 上巻』(福江市史編集委員会 編・福江市・1995)

pic1-1図1-1 水神社のどんく石
pic1-2図1-2 ガータロ 『妖怪画談』より
pic1-3図1-3 大日山周辺地図(googleマップより作成)
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図1-4
pic1-5_apic1-5_b
pic1-5_c
図1-5(a)~(c)
pic1-6図1-6 牛が刻まれた石板
pic1-7図1-7 五島八十八箇所第二十番札所「大日山(胎蔵界大日如来)」
pic1-8_apic1-8_b
図1-8



























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図1-9

pic1-10pic1-11
図1-10    図1-11
pic1-12図1-12 「火消し河童由来記」(福江中央ロータリークラブ)









pic1-13図1-13 現在の大正橋

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