前回は、年の十二支について解説しましたが、
十二支が配当されるのは年だけではありません。

今日、2014年2月14日は、旧暦では1月15日、満月です。
月の満ち欠けを基準とした29または30日間を「暦月(れきげつ)」
といいますが、
二十四節季を基準とした約30日間を「節月(せつげつ)」
といいます。この節月にも十二支が配当されますが、もっと皆さんがよく知るものがあります。それは
「時(とき)」
です。
時代劇などで
「草木も眠る丑三つ時(うしみつどき)」
といった表現を聞いたことがあるかも知れません。

「時」には、
「時刻」と「時間」
があります。前者は「23時2分32秒」などといった瞬間的な「点」のようなものです。後者は、「5分間休み」などといった連続した「帯」のようなものです。
私たちは12時ちょうどを「正午」といいますが、これは十二支の「午(うま)」に由来します。これは「時刻」ですが、十二支と「時」の関係には、少々複雑な歴史があります。
今回は、
古代中国の「時」の表し方
から見ていきましょう。

中国では、現代使われている24時制が西洋から輸入されるまで、2つの表し方がありました。
一つは、
時刻を表す「百刻法(ひゃっこくほう)」
、そしてもう一つが、
十二支を用いて時間を表す「十二辰刻(じゅうにしんこく 十二時辰)」
です。

百刻法では、1日を100等分して、正確な時刻を表現することができます。
一刻(いっこく)=864秒=14分24秒となり、およそ15分です。現代でも中国語で「一刻(yi2ke4 イーカ)」といえば「15分」を指しますが、これは百刻法の名残だと考えられます。(中国語のテキストではよく見ますが、現在はあまり使われない表現のようです。)
真太陽時(観測値点において、太陽が真南にくる時刻を「正午」とする)なので、経度によって時刻がずれるのが難点ですが、正確に時刻を記録することができるので、天文(天体観測)や作暦(太陽や月などの天体の動きから、暦=カレンダーを作ること)といった分野では、西洋天文学が流行するまで、使われてきました。

さて、十二辰刻ですが、
「辰刻」とは何なのでしょう?

「辰(しん)」とは、「天空を12分割したもの」
です。骨が12本の透明な傘を差していると思ってください。
考え方としては、この傘に内側から方位の十二支を、左廻りに書き込むのですが、真北や真南を指すのは傘の骨ではなく、骨と骨の中間(畳むと折り目になる部分)になります。
つまり、三角形の部分がそれぞれ、十二支に割り振られるのです。


「辰」は、透明な傘を
内側から見上げるイメージ

この「辰」を用いることで、様々な「時(とき)」を表すことができます。

◎太歳(たいさい)が属する「辰」 → 
太歳紀年法 【年】

◎二至二分の日没頃に斗建(北斗七星の柄)が指す「辰」 → 
節月(月建) 【月】

◎太陽が属する「辰」 → 
十二辰刻【時】



それぞれについて、詳しく見てゆきましょう。

太歳紀年法 【年】

「太歳」とは、天の赤道を12分割した十二次を巡る歳星(木星)が、「辰」を逆廻りに移動するため考えだされた、歳星と逆方向に巡る仮想の天体です。実際の天体の位置をもとに算出する太歳紀年法は、戦国時代から用いられました。
この太歳紀年法は、元和2年(85年)に廃止され、機械的に十干十二支で年を表す「干支(かんし)紀年法」が、現代まで連続して用いられています。民間では十二支だけを用いた「生肖紀年法」が一般的です。このような歴史を経て、「今年は午年」などといわれているのです。「干支紀年法」は、本命占いや紫微斗数、四柱推命、六壬神課、納音(なっちん)占いなど、様々な分野の占いに用います。

節月(月建) 【月】

また、「二至二分」とは春分・秋分と夏至・冬至のことです。2000年ほど前は、冬至には真北(子)、春分には真東(卯)、夏至には真南(午)、秋分には真西(酉)を指していました。これに基づいて、二十四節気で1年を12等分した「節月」としたのです。「1ヶ月を建(おざ)す(=北斗七星の尾が指す)」という意味で「月建(げっけん)」と言う場合もあります。「節月(月建)」は、五行易や四柱推命、六壬神課などの占いに用います。
なお、現代では、歳差運動により日没時に指す方角が30°ほどズレていて、北斗七星は冬至の日没時に亥の方角(北西よりやや北寄り)を指しています。

十二辰刻【時】

太陽が真南にきた瞬間を「正午」といいます。つまり、十二辰刻でも同様に「真太陽時」を用います。
ここで重要なのが、
「十二辰刻」では「時間」を表す
、ということです。
前日の23時から、日付が変わって1時までを「子時(ねのとき)」とします。古代中国では「時(shi2 シー)」は2時間を指すので、現代では24時制における1時間は「小時(xiao3shi2 シァオシー)」と区別しています。(「今、何時?」といった場合の「時(じ)」は「点(dian3 ディエン)」といいます。ややこしや)
このように、
「辰」に太陽が入っている時間を「刻(きざむ)」ので「辰刻」
というのです。
皆さんが読まれている、このページの更新も、実は「子時」に行なっています。

また、百刻法の説明で「一刻は15分」といいましたが、その原型は十二辰刻にもありました。「一時(2時間)」を4等分して「一刻(30分)」と呼ぶ方法もあったのです。「時」の半分が「小時」なので、同様に「刻」も半分にして「15分」となった、という説もあります。1時から3時までの「丑時(うしのとき)」を4等分したうちの3つ目を「丑三刻(うしのさんこく)」というのです。古代中国は定時法(後述)なので、「2時から2時30分まで」となります。
前述の歳星や斗建と同じように、太陽の方位によって十二支を「時間」に割り振るのが「十二辰刻」なのです。こちらも、五行易や四柱推命、六壬神課などの占いに用います。
(なお、名前が紛らわしいですが、日本語でいう「辰の刻(たつのこく=約7~9時。不定時法なので、季節により変動する)」と「辰刻(しんこく)」は全く関係ありません。)

以上は、惑星(木星)・恒星(北斗七星)・太陽の位置を起源とした「時」の表し方です。
これらの天体の「方位」は、地球の自転によって一定のスピードで「天空」、例えるなら「傘の上(もしくは地中)」を巡るため、当然のように
古代中国では「定時法(ていじほう)」
が用いられていました。

ここで、十干十二支が本来表していた「日」について触れていないことに気付かれたかも知れません。
「干支紀日法」は、月の満ち欠けが約30日間だということから始まったもので、現代まで途絶えること無く続いています。暦注や様々な占いに用いられますが、機械的に割り振っただけなので、実際の天体とは全く関係がありません。

さて、次回は日本へ伝えられた「時」が、どのような歴史を辿ったのか見てゆきます。
時代劇の「丑三つ時」は、「丑三刻」と同じ? それとも違う?

答えは次回明らかに!

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